そもそも卓球の才能とは何か?

弊社新作ラケット「ウィータム」に関心を持って受け入れていただけていてありがたく思う。好評いただいているようで感謝いたします。

さて今回のブログでは「そもそも卓球の才能とは何か?」について書いていきたい。このテーマでブログを書く理由の一つは「卓球」「才能」という文言での検索で弊社ホームページへたどりつくケースが多いため、改めてSEO対策も狙いながら、卓球の才能について記してみたい。
みなさんは、卓球の才能って何が求められると思いますか。まずはAIの模範解答を見ていきたい。以下は生成AIのGeminiによる回答(一部省略しています)

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卓球の才能とは、単に技術や体力だけでなく、状況判断力、戦略性、そして精神的な強さなど、様々な要素が複合的に関わって形成されるものです。具体的には、以下の要素が卓球の才能を構成すると考えられます。

1. 反射神経と動体視力
2. 柔軟性とバランス感覚
3. 戦略性と思考力
4. 精神的な強さ
5. 継続的な努力と向上心
6. 回転、スピード、コースを操る能力

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さすが生成AI。そつのない回答だ。一般的に異論のないところだと思う。

ただ、「卓球の才能」についての定義をあえて決めて決めていないまま、質問しているので、若干の不足感が否めない。つまり、卓球の才能といってもトップ選手をめざす、ほぼ週7で練習している選手の「卓球の才能」なのか、中学スタートの市大会で勝つことが目標の選手の「卓球の才能」なのか、大学の卓球愛好サークル選手の「卓球の才能」なのか、社会人になって仕事を持ちながら、卓球が休日の楽しみな選手の「卓球の才能」なのか、試合出場などは考えず健康重視の方の「卓球の才能」なのか・・・。世の中には多様な卓球があるものだ。

しかし、そんな世の中の多様な「卓球の才能」について、見事に回答している人がいる。

その人は、春秋戦国時代にあらわれた、思想家の孔子である。(テストに出ます)
孔子の”論語”にある言葉は以下の通りだ。



子曰、「知之者不如好之者、好之者不如楽之者」


非常に有名な言葉だが、読み方は以下の通りである。

子(し)曰(いわ)く、「之(これ)を知(し)る者(もの)は之(これ)を好(この)む者(もの)に如(し)かず。之(これ)を好(この)む者(もの)は之(これ)を楽(たの)しむ者(もの)に如(し)かず。」

これを、勝手ながら私なりに卓球をテーマにアレンジして意訳してみたい。



孔先生は言いました。卓球を知っているという人は、卓球を好きな人にかないません。
そして、卓球を好きな人は、卓球を楽しむ人にはかないません。


いかがでしょうか。なんとなくプロ志向の若手卓球選手から、健康志向の卓球愛好者まで多様な「卓球の才能」について説明する場合、孔子の言葉が腑に落ちるような気がします。結論が出ました。広い意味での「卓球の才能」とはつまり「卓球を楽しめる」という事のようです。

まだ卓球という競技が生まれてない、およそ2500年前の思想家に卓球を語らせるという無茶で乱暴な話をお許しください。

少し話は変わるが、身近で卓球に関して”もったいない”という言葉を聞くことがある。「あの人は、インターハイに出場しているのに卓球をやめてしまうなんて”もったいない”」「実業団で活躍していたのに、引退して卓球に関わらないなんて”もったいない”」このような言葉を耳にするたびに私は思います。本当に”もったいない”のでしょうか?と。

人がうらやむ実績を残した人も、そうでない人も、卓球より他のことに時間を割きたい、卓球は完全燃焼してやりきったなど、色々な理由はあると思いますが、ある時点で、卓球より重要だと思われる事、卓球より楽しいと思われることに、今後の時間を費やそうと思う考えはまったく”もったいない”ことではありません。むしろ無理して卓球を続けることの方が”もったいない”という恐ろしい状況を生みかねません。

人生100年時代といわれる今日この頃、たとえ卓球から一時的に離れても、いつかまた戻ってくるかもしれません。自分と卓球との距離感に疑問を感じている方は、漫画「ピンポン」の主人公のように愛用のペン檜単板ラケットを焼却炉にポイッと入れて、「へへ・・・悪ィな相棒。成仏してくれよ」と言って、卓球から離れる。やがて自分から「もう一回、最初っから、握り方から俺に教えてくれろ」と言う日がやってきて、気が付けば、裏面にラバーが貼られたカーボン入りペンラケットを手渡され、結果的に裏面打法を身に着けているかもしれません。まさに、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。

あれ?何の話をしているんだ?

とにかく、そもそも卓球の才能とは何か?という話は別にして、何か疑問が浮かんだとして、安易にAIに答えを求めて、そつのない回答に「たしかに」と思うのではなく、たまには沼津の千本松原にでも行って、波の音でも聴きながらシートに寝転び、「論語」などの小難しい古典を読みながら、うたた寝することも一興のように思います。そうすれば、自分にとって、そつのない考えではなく、少しは楽しい考えが、ふと思い浮かぶかもしれません。